もう一度「東日本大震災」の意味を考える時が来たのかもしれない。

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おはようございます。

結城です。

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今月は3月。

もう後半ですので、春の匂いがそこかしこで漂っています。

梅も咲ききって、もうすぐ桜も咲きそうです。

庭のチューリップも最近はすくすく育ってきて

つぼみが出始めました。

 

春はもうすぐそこ。

楽しみですね。

 

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3月は出会いと別れの季節。そして・・・

さて、3月と言えば、出会いと別れの季節です。

学生さんは卒業式。

社会人であれば、入社式がもうすぐ控えていますね。

 

2011年3月11日 東日本大震災

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そして僕たち日本人にとって絶対に忘れてはいけないのが、

3月11日。

東日本大震災です。

 

東日本大震災が起こったのは、

今から4年も前の2011年3月11日。

もう4年も経っているのですね。

でもそう思うのは僕が当事者ではないからで、

実際に経験された方は、まだ4年・・・、と思うのかもしれません。

 

突然の出来事

あの時、それまでの生活とは一変してしまった方々が

沢山いることと思います。

僕はと言えば、東北とは遠い地で、

普通にオフィスにて仕事をしていました。

 

突然、

本当に突然のことでした。

 

おそらく震度は4くらい。

僕は安全確保のために外に出ましたが、

すぐに揺れはおさまりました。

そして、またいつもの日常へと戻りました。

 

でも、戻れなかった人もいます。

 

津波で不明の娘からの手紙が届く

つい最近、読売新聞にてこんな記事を目にしました。

津波で不明の娘、10年前書いた手紙が両親へ

「この手紙が届くころは、お父さん、お母さんはもう孫がいるのかな?」

ちょっとだけ紹介します。

 

東日本大震災の津波で行方不明となった

岩手県の臨時職員娘(当時26歳)から、

今年1月、父親と母親宛てに1通の手紙が届いた。

 

2004年に訪れた愛知県で、10年後に届くよう娘がしたためたもの。

思いがけなく届いた手紙で娘の気持ちを初めて知った父親らは、

「しっかり生きねば」と心に誓っている。

 

娘は2003年に高校を卒業し、

バスガイドとして京都府のバス会社に就職。

その後、大槌町に戻って町の臨時職員になった。

震災時は町役場にいて、津波にのまれたとみられる。

 

自宅は被害を免れ、両親も無事だったが、

娘は見つからず、両親は約半年後に痛恨の思いで死亡届を出した。

 

娘に町に戻ってほしいと思っていた父親は悲しみに打ちひしがれ、

「いつ死んでもいいと思う日もあった。

大槌に呼び戻さなければよかったと悔やんだ。」

 

仕事を終えて帰宅した父親が、

自宅のポストに白い封筒を見つけたのは今年1月12日。

「どっかで生きてるのか」。

まさかと思いつつ封を開けると、

中には一日も忘れたことのないきちょうめんな字で書かれた便箋が2枚。

バスガイドだった2004年1月10日に、

愛知県犬山市の博物館「明治村」で、

手紙を10年間保管して届けるサービスを利用して出されたものだった。

 

つづられていたのは、

就職のため親元を離れた日のこと、

バスガイドとして働く日々のこと、

10年後の自分のことなど。

(中略)

 

「お父さんお母さんにはいっぱい、いっぱいお世話になったから、

これからは、私が2人のお世話をするからね。」

娘がこの手紙を書いていたことも、

両親に対しそうした思いを抱いていたことも、

父親らは知らなかった。

「娘の親で良かった。

娘に笑われねえように生きねえと。」

震災から3年を前に届いた娘からの手紙を、

父親らは心の糧にして生きていこうと思っている。

 

同じ子供を持つ親として、

悔やむ気持ちは本当にわかります。

でも自分のことをとても大切に想ってくれていた娘さんのためにも、

しっかり生きようと心に決めたのでした。

 

津波で町ごと流されてしまった山田町

こちらは僕の大好きな作家さんの、ひすいこたろんさんからの本で、

町ごと流されてしまった山田町の事を知りました。

 

「ここにいる仲間は、みんな家も流されて、仕事もないんだ。ははは」

え? え? え? はははって?

被災地の方たち、家を流されているのにこんな明るいの?

仕事もなくなったのにこんなに明るいの?

笑いの絶えない山田町の方たち。

 

1時間が過ぎたころ。僕はそのおじちゃんにこう切り出してみました。

「どうしてそんなに早く立ち直れたんですか?」

その質問で、おじちゃんの笑顔が一瞬だけ止まったように見えました。

そして逆に質問されました。

「立ち直ってると思う?」

 

あああああああ!!!!しまった!!!

 

そうだよな。僕はなんて無神経な質問をしてしまったんだろう・・・。

おじちゃんはこう続けました。

「悲しんで下を向いてたってなにも始まらない。

今は前を向くしかない。ウソでも笑える人は前へ進める。」

 

あとでわかったことですが、

そのおじちゃんはお兄さんを震災で亡くされていました。

一夜にして家を失い、仕事を失い、家族を亡くしながらも、

ウソでいいからと笑い、前へ進もうとしている方たちが山田町にはいました。

 

(中略)

 

「自分のことで悩めるって幸せよ」

「つまらないものを持っているからつまらなかったんだとわかった。

つまらないことをしているからつまらなかったんだとわかった」

「すべてを失って、なにもいらないことがわかった」

「元気だからがんばるんじゃない。がんばるから元気が出るんだ!」

聞いた言葉の一つひとつが、胸に刺さりました。

 

「命をなめんなよ」

 

そういわれている気がしました。

 

僕らは100年後、この地球にいません。

つまり、得たものを、すべて手放す日が来ます。

昨日得たものも、明日得るものもすべて手放す日が来ます。

 

大切なカバンをなくしてしまった?

そんなに落ち込まなくて大丈夫です。

そのカバンは、いつかはなくすものだったんですから。

 

そう考えると、何かを得ることが人生ではないことがわかります。

天の迎えが来るその日まで、思い切り生きること。

それが人生です。

 

寒さのなか、家族を失い、家を失い、仕事を失った人たちが、

ウソでもいいからと笑って前へ進んでいる。

 

「泣いたって何も始まらないから」

「笑っていると勢いが出るんだ」

 

そう笑いながら。

そんなにすごい力が人間には隠されているんだ。

そんなにすごい力があなたにも隠されているんだ。

そのすごい力を発揮しないで、死んでどうする!?

 

どうせ死ぬなら、自分の底知れぬ可能性に驚いてから、

死のうよ。

(『あした死ぬかもよ?』 ひすいこたろう より)

 

まとめ

人はいつか必ず死ぬときが来ます。

一節によると

人が死ぬ時に一番後悔するのは、

「もっと自由に生きればよかった・・・」

だそうです。

 

一生に一度きりの人生。

物語を紡ぐのは自分自身です。

 

 

あした死んでも後悔しないような生き方をしなければいけないなと、

3月11日の東日本大震災を振り返って思う結城でした。

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